小料理屋さつきのまかない飯

ちょっと思った事をちょっと書いたり。

Twitterライクな短い雑記を残していこうと思います。
かつては「艦これ」関係の記事置き場でしたがズバッと削除。
 

Twitterpost:2022/04/25 ~ 2022/04/29

 Twitterでだらだらpostしていますが、その中からのピックアップのようなものをまとめてみます。ほぼ「自分あのときどんなことpostしてたかな」と振り返るためですが。

 

 小刀でエンピツを削るとか包丁で食材を切っていくのは、刃物の扱いに慣れるだけでなく刃物以外の工具を扱う基礎力も養うと個人的に思います。
 人はいつまでも子供じゃないですし、大人はいきなり現れるものでもありません。
 子供の頃は大人に側についてもらって……そして見守ってもらって、いつしか自分で出来る事はなるべく出来る用にとステップというよりも坂道をゆっくり登っていく感じでしょうか。
 大人になっても出来ない事は沢山あります。その時「誰に、どこの窓口に尋ねればいいだろうか」というのを自分で考えたり調べる力があれば問題解決までの時間や道のりが大幅短縮されると自分の経験から思います。生徒と教師や保護者、被支援者と支援者、双方が能動的に情報を交わしながらブラシュアップしていくようにと自分は祈る思いでいます。

 このpost以外でのpushは以下。

山本周五郎「愛妻日記」

 Twitterでフォローしてる方が引用されてらして、とても気になったので中古本を取り寄せて少しずつ読んでいます。
 書けない事。やりくり。恋すること。お酒を飲んで……後悔するけどまた飲んじゃうこと。愛する人の為に祈ること。
 共感する事が多くて……でもやはり凄い方は違うんだなと心が縮んだりします。

 若い頃はわりと日記を書いていました。インターネットに絡め取られてからノートに日記を書く事は無くなってしまいました。本当は日記を書いた方が良いのだろうと思うのです。
 「兎に角何か書け。毎日少しでも書け」
 これはよく言われること。
 COVID-19下で、罹患しなくても心身の状態が思わしくない日々が長く続き、ブログで昔のようにトガった記事も書けなくなって。でも諦めちゃ駄目。
 自分が生きた証を残したい。ネットの片隅じゃなくてもうちょっと陽の当たる所に。
 そのためには書かなきゃね。
 
 そんな訳で長い間放っておいたここのタイトルを変えて「天井裏」よりも短く、兎に角書き残すことを目的に改装オープンしました。

ふゆずずめ

 ふくらすずめ ふゆすずめ
 米がほしいか こっちゃこいこい
 青菜はまだぞ 春はまだぞ
 あそこにおらるる 雪だるま
 まだまだ軒先 いそうろう
 餅をおひとつ 上げたいが
 御身が消えるを 嫌がって
 ふくらすずめ ふゆずずめ
 汝らだけが こっちゃくる

無題

春。空の高みで鳴く鳥を探して走っていたら道を踏み外した。
夏。足元に目を落とすと短いがとても濃い影が落ちている。
秋。徐々に光を失う琥珀色の夕日に背を向けるとひょろりとした力なき巨人が仰向けに横たわっている。
冬。牡丹雪の中傘を閉じて歩く自分自身が灰色の影。

憧れの語らい

 互いの愛盃を持ち寄りて同じ酒を飲む。
 飲みつつ皆の愛盃の姿形を楽しみ、また会話を楽しむ。
 口に付ける盃は違えども飲む酒は同じ。
 同輩、異盃、同酒。愛すべきこの時間。
 せめて空が白む迄。
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 Twitterのpostです。気に入ったので忘れないために。でも漢詩で書く事ができたら…… と、自分の力不足にしょんぼりもしています。
 
 狭い部屋に仲間が集まって、あれやこれや議論する……そんな、昔の文学青年みたいな集まりに憧れがあります。
 ノーミソをフル回転させて話の上に話を重ね、削り、磨き、また重ねて。
 相手を打ちのめそうとかではなく、ただただ考えや想いを磨き上げるために。
 例え語らう相手の思想や指向が違っていても、その人の美しく編まれた言葉に唸り感銘する他無い、そんな時間のために。 
 今でもそんな集まりがあると自分は信じたいです。

ifの自分

 もう一度ガラス細工をと願う気持ちがあって、何より胸にある想いの熱量がたまらなくて、しばし迷ったけれど伝えた事があります。
 でも今度は自分の手の中から「ガラス細工にしたかったガラス棒」が床に落ち砕けてしまいました。
 その事で何年も悲しみ苦しみました。
 
 今日目覚めた時「あの時拒まれた事が辛かったけれど、その事を恐れて伝えなかったら後悔で辛かったろうと思う。どちらも後悔があったならば伝えて良かったと思うようにしたい」という気持ちが浮かびました。
 しばらく黙って涙が流れるままでいて。
 「そう、こういうことは初めてじゃない。子供を産んでいたら晩年の母の側に居ることができなかったかも知れない。子供を産まなかった選択は……ぼんやりとした寂しさや、申し訳なさなどあるよね。どちらが正しいとか良くないとかあ、考えるのは……」
 
 人生の岐路を挟んで向かい側に居る「ifの自分」を気にしてしまうのは仕方ないと思います。
 でも、病没した両親が生き返ることがないのと同様、選択をやり直すことは出来ません。
 「ifの自分」を消してしまう事はできないと思いますし、今日のように「一区切り」のような思いを抱けるようになるまで時間がかなりかかると思います。そして一区切りできても、コトンと納得した訳ではないとも思うのです。
 
 勿論、もしまたお会いする事が出来たらという想いはあります。忘れる事は出来ません。
 幸せになりたいですから。
 昔のように、色々振り回されて振り回して、嬉しくて辛くてという事になっても。
 
 とはいえ今は、床に散ったガラス棒のカケラをとりあえず掃き集めて小さな箱に移し終わったという所です。
 まとまりがない話ですが、一区切りのメモとして。

旅の途中で

今夜パンを分け合う人
明日は旅路に戻る
10日もすれば消息もわからず
ひと月もすれば記憶も薄れ
1年後は互いが生きているかも分からない

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Twitterへのpost。ちょっと気に入ったので備忘録的に。