小料理屋さつきのまかない飯

ちょっと思った事をちょっと書いたり。

Twitterライクな短い雑記を残していこうと思います。
かつては「艦これ」関係の記事置き場でしたがズバッと削除。
 

ネットは常に生け贄の山羊を求めている

フェイスブック、はてなブログ、自分で作ったブログの違いは、ど… - 人力検索はてな」というご質問へのコメントから。

 facebookmixitwitterと、はてなサービスの大きな違いは、フォロワーや友達、知り合い関係がリスト化されていることでしょうか。
 はてなサービスでは、そういう「つながり」は、リンク集を作ったり等なければパッと分からないと感じます。

 自分は、自身が「はてな村の村人である」と感じた事はないのでこの感覚はよく分からないのですが、もし自分が何かしでかしたとしても、はてなサービス上で横に炎上することはないと思います。……多分。
 自分がネット上で一番恐ろしいと考えていることの一つが、「拡散」です。デマだろうがなんだろうが、「おもしろおかしい話/ネタ」は拡散するのが早いという事です。
 叩いて暴言吐いてストレス発散という傾向は否めません。ネットは生け贄の山羊を常に求めていると自分は感じます。
 自分がその山羊にならないよう、そして自分とリアル/ネットを通じて交流がある方がその影響で困ることがないよう気をつけてpostしなければと考えています。

 今は魚拓などのサービスもありますし、データを削除しても、スクリーンショットやそういうサービスを使えば「バカをやった証拠」はいつまでも残ります。刑を終えた方が「自分の名前をネットで検索したら逮捕歴があることが分かってしまう。削除して欲しい」と訴えたりしていますが、気持ちはわからなくもありません。

 エゴサーチという単語があります。自分のハンドルやID、実名、blog名などを検索してみることです。知らないうちに2chに書き込まれていたりとかはあるんですよねえぇ。怖い怖い……
──────────────────
 マジ怖いんですよねえ。エゴサーチはたまーにやりますが、2chで引っかかってます(笑) かなり前の話なのと、朝霞名義であり、実名ではひっかからないんで多分リアルは大丈夫。ネットでは多少ビビリのほうが良いと思うんですよ。うん。

生前に葬儀について家族と相談を

 まずは家族親族友人で静かに葬儀をし、会社関係の方は、後日改めて宗教色を排した「お別れの会」をしますので……というような扱いにすれば良かったと思 います。自分は「密葬」というのがよく分からないのですが、そういう事が可能になる様式のひとつであるなら良いことだと感じます。
 また、普段からご先祖様の年忌法要でお寺さんと親しくしておくのも大事でしょうし、イマドキなら、葬儀社と「自分の葬儀について」打ち合わせを するのもアリなんじゃないかと。実際、地下鉄やバスの広告、ポストに入ってるチラシをみると、そういうことを謳い文句にしている葬儀社がありますね。ネッ トの記事も見た記憶があります。

 ちょっと前に、白隠和尚の本を探しに大きめの本屋に行った時、冠婚葬祭のマナー本に混じって、葬儀そのものをどうやって進めていくかという本が色々並んでいました。昨日コンビニに行ったら、葬儀関係のムック本も置いてありましたね。
 一昔前から書店でたまに見かけていた 「遺言ノート」が、今ではポピュラーなものになりつつあるなぁとも感じます。
 
 かつては、子供の頃から自分や近所のじーちゃんばーちゃんの葬儀や法事等を見て、それなりに感じたり思ったり、知ったりするというのがあったと 思います。核家族化や近所付き合いが希薄になってしまったこと、宗教が冠婚葬祭の時に軽く形だけ触れるものになってしまったケースが増えていることがこう いう問題を引き起こし、また上記のような本やマニュアルが売れている理由なのではと自分は感じました。

 自分は現在一人暮らしです。多分このまま一人暮らしを続けるでしょう。孤独死について考えることは度々あります。福祉課でいつか相談しなきゃなぁとは思っていますが。
 出来るなら、病院で亡くなった後に合葬墓に入れて頂くまで代行してもらえる葬儀社を紹介してもらえないかなぁと考えています。
 遺品の処分なども頼まないとダメですし。

 人間、いつ死ぬかは分かりません。
 だから、忌み事ではありますが、葬儀についてある程度家族などと話し合うのは大事な事だと思うのです。
 一番は何と言っても費用のこと。結婚式はプランを組んで色々考える時間的余裕がありますけど、葬儀はそうは行きません。即決していかなければな りません。この祭壇を使うなら幾らかかるか、お寺さんを何人呼ぶか、霊柩車のグレード、精進落としの弁当はどうするかとか……もう、決めなきゃいけないこ とが次から次へ色々出てくるのです。故人の枕元で突っ伏して泣いているヒマなんてないんですよ……

 去って行く人も、遺された人も、それなりに納得できる形で別れの儀式=葬儀をおこなう事ができる……それが理想だと自分は思います。
 遺された人の生活の為に生命保険があるように、遺される人がゆっくりと自分との別離ができるよう、事前相談は大事なのではと感じます。

 

◆呼んでないのにお坊さん4人、請求額500万円…戒名と布施のトラブル絶えず:イザ!
http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/140827/lif14082711320016-n1.html

目的意識をもって行動すること

 100均ショップで買い物をするにしても、一人50万かかる海外旅行に行くにしても、目的がしっかりしていなければ、無駄遣いにしかならない。「経験」も「貯蓄」も、目的を明確にする事が大切だと思う。

 「何故生きる?」
 昔から多くの人々が悩んできた事だと思う。
 「人力検索はてな」でも、10代の方からのこういった質問が時折ある。

 今の自分だと「学ぶため。死ぬ前の最後の一呼吸をするまで、学ぶため」という感じ。

 学ぶだけでなく、何かを体験するにはお金が必要だったりする。無料で体験出来るものもあるだろうけれど、交通費や食事代などが掛かるとすれば完全に無料とは言えないだろう。
 仕事を通じて学ぶことは多々あって、それは収入に繋がるけれども、お金ではなく「自分の労力や精神力」というのをある意味「支払って」得ているものだと考える事も出来る。

 「鋼の錬金術師」の有名なセリフ、「人は何かの犠牲なしに何も得ることはできない 何かを得るためには、それと同等の代価が必要になる」というのは非常にいいセリフだと思う。

 そして、自分はそれに「しっかりと目的を定め、貪欲に学ぶ視線を保って動くならば、どんな事柄からも学ぶことが出来る」というのと付け加えたい。

 お金を貯める課程、お金を使う課程、経験する間、その経験をするための準備の間……学ぶ心をしっかり持っていれば、今は苦しくとも、後々、「やってよかった」と思えると自分は思う。
 そして、学び取った事を、後に続く人達に伝えていくことも大事な事だと同時に思っている。

◆若い頃は経験すべき?それとも貯金すべき? - 教えて!ウォッチャー - 教えて!goo
http://oshiete.goo.ne.jp/watcher/entry/a2c4758a6e138af96de5ae7f1c23b52b/

アニメを止めても報道は続いている

 ◆アニメ「PSYCHO-PASS サイコパス 新編集版」の第4話が、放送見送りに - Scoopie News - GREE ニュース

 この記事をmixiニュースでみて、またかぁ……と嘆息。アニメ版School Daysの最終話が放送されなかった事(School Days (アニメ) - Wikipedia:5.1 最終話の放送休止参照)を思い出しました。それで、つらつらと。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 「事実は小説より奇なり」という。まさにその通りだ。いくらフィクションを規制しても、メディアがどんどん猟奇殺人について報道し、関係者の身辺を根掘り葉掘り聞き出し晒していく。
 子供に与えた携帯やスマホでポルノやグロ系サイトなどはフィルタリングで防げるけれども、こういうことを書いているページはフィルタリングされないと思う。2chだってそう。だったら同じ。

 「津山30人殺し」と検索すれば事件内容が細々と書かれたページがでる。そういう残虐な事件のエピソードを集めたサイトは沢山あるし、概要ならウィキペディアにも掲載されている。
 
 完全自殺マニュアルが一時期撤去された事があるけれど、今はシュリンクで包まれて販売されている。他にも、猟奇殺人犯やそういう犯罪についての 本、拷問の本……様々な本がある。サブカル系だけじゃなく、文化系のひとつのジャンル本としても。図書館に収蔵されているものもある。

 「Nice boat事件」もそうだけど、アニメのひとつのエピソードを止めても、影響は微々たるものとしか思えない。ワイドショーが根掘り葉掘りした事を大げさに編集してTVで流すのを止める方がよほどいい。
 
 良い知識も悪い知識も、インターネットで簡単に検索出来てたどり着けてしまう。大切なのは、情報を隠すことでは無く、それらの情報を見ても動揺せず、「自分の中にフィルターを構築する」事ではないだろうか?
 悪い情報や誘いを受けても、毅然として断ることができ、自分を律することができる事。
 それが今の老若男女に必要な事ではないだろうか。

 教育は大学卒業で終わるのではない。死ぬ時、最後の一呼吸まで続くと自分は思っている。
 情報を鵜呑みにせずよく吟味することや、ワイドショーの「根掘り葉掘り報道」ようなゲスいものにサヨナラする気持ちを持って欲しいと自分は思っている。

 LINEやtwitterで流れてきたり、2chで立ったスレを、事実かどうか吟味せず即鵜呑みにして拡散する…… 確かに自分も「釣り」に 引っかかったりするけれど、基本的にネットの情報というのは「話半分」と考えているし、自分の実体験、出来るだけ確かなソースにあたることが重要と思って いる。

 メディアの人達よ、ワイドショーやそういう話題のページは大人だけが見るもので、アニメは子供だけが見るものだという考えをすっぱり止めるべきだ。
 
 まず、大人が賢くなり、自らの行動を律し、心が揺れる10代を導いてあげなければならないと思う。
 今回のケースは複雑な家庭事情もあると思う。学校レベルから、各種相談機関(こども人権11番、チャイルドライン等)が、そういう「揺れている 子供達」をサポートする体制をもっと整えるべきだと感じる。また、子供達にも、「こころは揺れるものであり、不安に感じたらここに相談してみては」と周知 させることや、精神疾患について隠さずに保健体育にの時間で説明してもいいのではと思う。勿論、子供を動揺させたりしないよう、最大限の配慮は必要だと思 う。

 精神疾患について説明すれば、軽い気持ちで「メンヘル」という単語を使うことは減るのでは……と少し思ったりもする。そんな軽い、ジョーダンみたいな単語で済まされない事なのだと。

 100%の子供を救うことはできないかもしれない。しかし、子供のメンタルヘルスサポートを充実させることで、最悪の結末を少しでも無くすことは出来るのではないか、と個人的に感じる。

That's why the BBA is a tramp

 シナトラ氏の曲は好きな物が多く、この曲もそのひとつ。

 ふと、歌詞がどうなっているか検索してそれを読んでいたら……変な事を考えてしまい、思わず改変して遊んでしまいました。


Frank and Ella - Lady Is a Tramp - YouTube

元々の歌詞はこちら。

Frank Sinatra - The Lady Is A Tramp Lyrics | MetroLyrics
http://www.metrolyrics.com/the-lady-is-a-tramp-lyrics-frank-sinatra.html

──────────────────

I get too hungry for dinner at ten
I like the netgames and never bet Gacha
I never bothers what plyers get
That's why the BBA is a tramp

Doens't like netgames with barons or earls
Won't go to instance dungeon in  Excalibur and Aigis
Let't through the event which the'r engrossed
That's why the BBA is a tramp

I likes the free fresh wind through my head,
Life without care
Oh, I'm so broke!!!!!!
I hates BIGcity, it's crowded and damp
That's why the BBA is a tramp

I get too hungry to wait for dinner at two,mid-night
I love post twitter, but never get fav
I never bother with people what retweet
That's why the BBA is a tramp

I loves the free fresh wind through my head
Life without care. I'm broke but it's ok
Hates BIGcity, it's so crowded and so jammed
That's why the BBA. that's why the BBA
That's why the BBA is a tramp……

──────────────────

 まあ、BBA=自分がネトゲやって、貧乏で、都市はごちゃごちゃしてて嫌いって感じです。装備もこれといったものはないし、ガチャもやらないとか。で、夜の10時頃と夜中の2時頃にお腹がすくとかw

 それと、現在丸坊主にしちゃってるので(爆)、元の歌詞だと「心地よい風が髪をふわりとさせる」となってるのを、「頭を通り過ぎる」にしてたり。

 ……分かっているんだけど、バカだな、自分w

 

 ちなみに、trampっていうのは放浪とか、ふらふらするという意味。一つ所に落ち着かない自分にふさわしい単語。うん。

耳を切り落としたゴッホの自画像

 1、ゴッホの自画像についてのあなたの感想および意見・感想を書.. - 人力検索はてな
 http://q.hatena.ne.jp/1403774719#comment 

 という、ゴッホの自画像について感想を求めている質問があったので、コメントに書いてみました。コメント欄に書いたものに少し手を入れました。

 ゴッホの絵は、すごい値段がついている事というのが大嫌いで……特に、バブルの頃は投機対象のような扱いを感じたので、その部分でネガティブな印象はあります。しかし、こころの病気を患っていた事、自分が大好きなオランダの出身者であること(自分は今でも、跳ね橋のイラストや写真を見ると胸が懐かしさで一杯になります)、下でも触れている「耳を切り落とした自画像」のインパクトなどがあり、大嫌いではありません。むしろ、そっとしておいてあげてほしいというか、投機対象とかにしてあげないでほしいという気持ちです。

──────────────────

 ゴッホ肖像画の中で一番記憶にあるのは耳を切り落とした後の自画像ですね。

 耳を切り落とした自分を絵として残す。
 周囲の人へのメッセージとして描いたというよりも、耳を切り落としたという極限まで追い詰められた精神のはけ口として描くしかなかった、そしてこのときの自分の気持ちの高ぶりを忘却してはいけないと描いた時点で思ったのではと自分は感じるのです。
 後日、この絵をゴッホはどういう気持ちで見たかは分かりません。描いた後二度と見なかったかもしれないし、時折見ては何か考えたかも知れません。耳に包帯を巻いている肖像画複数あることから、多分、絵は見直さなくても、耳を切り落とした一件についてはゴッホは生涯心の中に生々しい記憶として抱えていたのではと感じます。伝記を読めば何かその点について記載があるのでしょうか……

 「耳切事件」の概略を読みましたが、やはり、ゴーギャンに伝えたいために描いたとは感じられないのです。確かに、カミソリを持ってゴーギャンを追いました。しかし、事実は、カミソリはゴーギャンに向けられず自身の耳に向けられ、切った耳は道に捨て置かずに娼婦に届けます。その「耳を捨て置かなかった」事すら、感情を吐いたとしても「過去」という箱に捨ててしまうことが出来ないゴッホの性(さが)が出ているのだと感じるのです。

 ゴッホの孤独。
 友達や家族とともにいても強い孤独を感じてしまう人だったのでしょうか。社交辞令や軽いお付き合いの中で交わされる軽い会話、知らない人からのほほえみから、友達や家族と囲む食卓や何気ない会話という親しい方との暖かな時間でさえも、ほんの少しのトゲを見つけてしまうと気になって気になって気になってしょうがなくなり、その後その方達とのつきあいを一切合切拒否する人だったのでしょうか。

 そういう拒否拒絶と悲しみを感じる一方で、人々との絆や自然の美しさへの憧れも心のなかに同居していたのかもしれません。
 
 自分は人間関係の構築、維持が困難です。人混みが苦手。うるさいのも大嫌い。地下鉄で隣に誰かが座っていると身体が震えるほどです。だけど、人と親しくしたい。人と楽しい時間を送りたい。そういう相反する気持ちがあります。

 自分の心の中で炎がゴウゴウと雄叫び、氷塊がうねる。相反するものが同居する。
 真反対な気持ちに挟まれてどうすれば分からず、翻弄される苦しみ。エヴァでリツコさんが言っていた「ハリネズミのジレンマ」かもしれません。

 こころの病気を持っている自分はよく「こころの病気はなってみないと分からない」と書いています。
 ゴッホも、自身の中にある巨大な炎と氷に翻弄される苦しみを伝える事が難しく、辛くて苦しかったのではと思うのです。
 
 ゴッホの絵は現在大きな評価を得ています。色々な方が色々な気持ちで見ていると思います。
 ただ、自分は、やはり、ゴッホが複雑な気持ちを抱きながら絵を描いていたのではと、悲しい気持ちになってしまうのです。

──────────────────

07/13追記 この質問キャンセルになってしまいました。他の方のご意見も読んでみたかったのですが……残念です。

LINEって、デメリットのほうが多くないだろうか?

 自分はLINEを使っていないので詳しい事はわからないんですが。
 しかし、インターネットが普及していくのを肌で感じた世代であり、人と人が直で会ったり、最低でも電話で話さないとコミュニケーションとれな かった時代からメールなどで気軽に連絡をとれる時代へ変わっていき……その弊害について警鐘を鳴らしている人の話をちょっと見たりしてきました。
 LINEは現在、「直で会話する」ことから一番遠く離れたコミュニケーション手段かなと自分は感じるのです。

 確かにデメリットのほうが耳目をひくので強調されているのかも知れません。
 しかし、「既読スルーでケンカになった」というのはネットでよく見ますし、せめて、既読かどうか分からなくするだけでも変わるのではと。
 そうするとLINEの特性が失われるという人もいるかもしれませんが。

 また、18歳未満はID検索できなくしているということですが、ネット上ではLINEのIDを書き込んで友達募集という掲示板があります。援助交際の温床としてのLINEの側面は断ち切れていません。

 自分は自分の人生経験から「最大の危機に備えるべき」と考えます。
 LINEを使う事のメリットよりデメリットのほうが大きいなら使うのを控えるか、代替できるアプリを探すべきだと感じます。

 むしろ、他のアプリ開発者/メーカーがLINEのデメリットを出来るだけ少なくしたグループアプリを開発して欲しいと感じますね。

 これだけは妻にやめてほしいことTOP10 [夫婦関係] All About :
 http://allabout.co.jp/gm/gc/443101/

 の中にも夫が関知しないLINEグループに参加してほしくないというのがありますし、家族同士の連絡さえLINEですませてしまうというのは、あまりにも悲しい状態なのでは。
 これが平成世代のありかたなのでしょうか。
 
 自分が子供の頃は、学校からは連絡帳があったり、クラスのグループで日記をまわしてそれを担任が赤でメッセージ入れたりありました。夕食の支度をする母に学校での出来事を話したり、夕食時に父がニュースを見ながら色々世の中の事について話をしてくれました。
 そういう風景はもう少なくなって絶滅していくのでしょうか。

 イントネーションや感情、表情、ジェスチャー……言葉以外のコミュニケーションは非常に大事なのに、それが失われていくのは寂しい事だと思います。

 コミュニケーションを電子機器に頼りすぎることに危機感を覚えます。
 言いたくても言えない、言葉に出来ない。だけれど、仕草などが訴えている……それを察知する能力はどんな世代、どんな時でも大切だと自分は思います。
 特に大人が子供に接する時は。

 直で話をしようよ。
 笑って泣いて、身振り手振り加えて。言葉に詰まったときは、ぎゅっと相手の手を握ろうよ。

 そう思うのです。